もうすぐ彼岸

2023/09/16


彼岸とは生き死にの世界にあって苦悩する私たちが目指すべき理想の境地で、そのため春分、秋分の日を中日とする七日間、修行する行事を彼岸会といいます。この期間に特にお墓参りやお寺詣りをして先祖供養をねんごろに勤めますが、それは亡き人と、こころの交信をしあうこと、その交信を通じて、彼岸を静かに念ずることだといっていいでしょう。
彼岸に到るための修行を六波羅蜜といい大乗仏教では、自分の悟りのみを目的とせず、すべての人間が平等に救われ成仏することが、究極の願いであるとされますが、そのために菩薩が実銭すべき六つの道があります。
波羅蜜は梵語でパーラーミータといい、訳して「彼岸」というのです。彼岸は悟りの境地を意味し六波羅蜜は悟りの彼岸をめざすための、六つの大事な行いをいうわけです。第一は布施。施しをすることで、これには金品を施す財施、仏法を説く法施、恐れを取り除く無畏施の三つがあり、三施といいます。
第二は持戒。戒律(約束)守ることです。
第三は忍辱。様々な障害に堪え忍ぶことです。
第四は精進。仏道の成就を求め、たゆまぬ修行をすること。
第五は禅定。身と心を静寂にたもち精神を統一させること。第六は智恵。真理を見極める曇りない目を養うことです。「暑さ寒さも彼岸まで」というように、春の彼岸の頃になると寒さも漸く薄れ、暖かくなり、また秋の彼岸になると夏の残暑もなくなり、涼しくなります。つまり一年のうちで大変いい気候であり、また農閑期にもあたるので仏道の修行にふさわしい期間として、彼岸の一週間を特に励むようになったのです。
またこの春分・秋分の日は、昼と夜の長さが等しく、暑からず寒からずなので、中道を尊ぶ仏教の教えにもかないます。
中道とは、かんたんに言うと、何事も極端に考えないということです。これは有るこれは無いということに片寄らず、執着しないことです。悲しい時には悲しいと思い楽しい時は楽しいと思うのが人間の情ですがそのいずれにも執着せず、苦しいことや楽しいことがあっても、できるだけそれにとらわれないように心をたもつ事が肝要です。
中道の「中」は二つのものの中間という意味ではなく相反する二つのいずれからも離れ、自由な立場にあることです。なにごとも極端になると、それにとらわれて思わぬ失敗をします。おいしい御馳走があっても食べ過ぎると肥満の元ですし、楽だからといって家でゴロゴロしているとやはり体によくありません。また運動する方がいいからといって、急にきつい運動をするとかえって体をこわすでしょう。そして中道の根本は、高慢な心をもたないこと、我に執着しないということなのです。

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