2024/02/23
私が先日、あるお宅にお経を読みに行った時のことです。私は徐に衲とお袈裟指につけると、仏前に狠しく座りなおしました。目の前にはあらかじめお布施が用意して供えられております。
ところが私がお経を読み始めたところ、なんと家の人が前に出てきて、そのお布施の包みを下げて行ってしまったのです。私は「ハハン」と思いましたが、皆さまはこれが何を意味したのかお気づきですか。
そうです。家の人はお布施の中身をとりかえるために下げたのでありました私がキチンと正装して読経したものですから、お布施の中身を増やさなくてはいけないと思われたのでしょう。略装で読もうと大きな袈裟を掛けて読もうと、お布施の中身にまで影響させなくてよいのですが、長い歴史の間に、「僧侶の服装によってお布施の中身もかわる」という不文律ができてしまったようですね。
ところで、僧呂が大きな袈裟を仰々しく掛けている様子を、「大袈裟」と言いましたが、このことから、それほどでもないことを、如何にも大層に言ったりしたりする様子を、「大袈裟」というようになりました。もっとも、この「大袈裟」と「仰々しい」が同義になったのは、後世、僧侶の服装が華美になってからのことでありますが・・・。
仰々しい袈裟を掛ければ、いかにも有難そうに見える。だからそんな袈裟を掛けて「読経したい」、「読経してほしい」という気持が僧と俗の両方にあり、それこそ大袈裟になって、今のような仰々しい袈裟が定まってきたのでしよう。でも、日本のお坊さんの袈裟は少し派手になりすぎているようです。本来は、原色や白黒を避けた地味な色、つまり褐色か壊色が袈裟の色でありました。
日本で考え出された略衣や、金欄の袈裟もそれなりの効用はありましょうが、本来の袈裟を如法に掛けるところにこそ、仏法の原点があるような気がいたします。
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