いのちに合掌

2026/01/23

「堕胎(だたい)とは母胎に宿ること、堕落とは死ぬこと」などと聞くと、きっと誰もが怪訝(けげん)な顔をなさることとと思います。なにしろ「堕胎」も「堕落」も、今では全く違うことを表現する語となっているのですから、無理もありません。
 さて、「堕」という字は、土がくずれ落ちる意で、古来<高い所から低い所へ落ちること>の意で使われてまいりました。それが転じて、仏教においてはどこか高い所、たとえば天上から、この娑婆というステージの低い所に住む生物の母胎に入って生まれることを、「堕胎」と言っておりました。そういう意味では、前世で人間だった者が次の生で動物の腹に受胎すれば、これもまた堕胎の一つでしょう。
 それがどうして、現在使われているような<胎児を人工流産させること> という意味になったのか。どこかで意味を取り違えて使われたことが、そのまま後世に伝えられたとしか説明のしょうがありません。そんな目に合った語は他にも、「無学」や「言語道断」などたくさんあります。
 次に「堕落」ですが、これも本来は<来世でより低い存在のものに生まれつく>という意味でした。たとえばある人が死んで、次の生では鳥にでも生れるとすると、これを堕落と言うわけですが、それを少し敷衍(ふえん)させ、生きているうちから身をもちくずして人間としての本分を失っていれば、それを堕落と言ってもさしつかえないだろうといったことから、身をもちくずすこと自体を堕落と表現するようになったのだと考えられます。
 経典には私たちが生死する世界として、下から地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六つを挙げ、人間より下の世界に生まれることを堕悪道とし、堕落することのないようにせよと修行をうながしております。人間界の下位にある餓鬼や畜生、あるいは地獄の世界に堕落するのは、何も死んでからだけでなく、生きているこの世の中にもちゃんとあるわけです。私たちは、せっかく人間として生まれついているのですから、人間としての道を歩むことはもちろん、更に仏道を歩むよう精進したいものです。

 

お問い合わせ

お問い合わせやご質問等についてはこちらよりお願いいたします。
また、毎月の鬼子母神講(毎月8日 午後7時)や七面さま講(毎月18時 午後2時~)へのご参加も
心よりお待ちしております。

日蓮宗 妙栄山 法典寺
〒418-0023 静岡県富士宮市山本371-1
Tel.0544-66-8800
Fax.0544-66-8550


pagetop