足を知る

2021/06/25

法華経の普賢菩薩勧発品第二十八の中に、「少欲知足」という言葉があります。
「自分の欲を少なくして、私は今のままで足りている、満たされているということを知る。」という意味です。つまり、「何がないか」と考えるよりも「何があるか」を考える、という発想の転換をしなさいとお釈迦さまは説いて居られます。
「何がないか」というのは、経済という物差しで世の中を見るということです。大量生産、大量消費、大量廃棄という物質社会といわれる経済至上主義の現代では、人間が物質的、経済的に得えられる喜びは一時的なもので、永遠に満たされるということはありません。
なぜなら、人間の欲望には際限がないからです。
 その一方、「何があるか」というのは、自分の身の回りを見つめ直し、今のままでも充分だということを知ることです。また、「何があるか」というのは、物の表面だけではなく、その奥にある「縁」や「恵み」という目では見えないところまで観て初めてその意味をなします。例えば、あなたの前に一粒のヒマワリの種があります。経済的に見れば、ヒマワリの種はダイヤモンドなどと違い、大した価値はないかもしれません。しかし、花の種が存在する為には、太陽、大地、空気、水の恵みが不可欠であり、途方も無い長い年月の間絶えることなく、子孫を残し続け、今、あなたの手元にあるのです。花の種、しいてはあなたの身の回りにある全てのもの、さらには、あなた自身もこの世に二つとない奇跡のような存在なのです。
 次から次へと発売される最新の機器を買い求めたり、流行りを追いかけていると知らぬ間に感謝や恵みの心を忘れてしまいます。それよりも、あなたを含む身のまわりの奇跡のような存在に喜びを感じ、感謝し、経済的な価値観とは違うものさしで世の中を観る喜びを楽しんでみてはいかがでしょうか。そうすると今とは違う世界が観えてくるかもしれません。

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