訃報に関して一考察

2018/10/17

マスコミが著名人の死を報じるとき、
「ご冥福をお祈りいたします」
のことばで締めくくられることがほとんどである。

「冥福」も「祈る」も字面と聞こえはよいが、仏教徒としてはこれはふさわしくない。。

「冥」は暗闇を指す言葉であり、死後の世界が闇で、そこで霊や魂が迷うことを押しつけている。だから、「冥福を祈る」という言葉には、
「冥」で「福」つまり、「闇の世界へ落ちるけれど、ひょっとして蜘蛛の糸がぶら下がっておれば逃げ出せるかもしれませんなー、まあ、気を落とさずに……」
とも受け取れる一種の見捨てた意味が感じられる。

仏教徒には、「お悔やみ申し上げます」がふさわしい。
また、死亡広告・会葬礼状にも、他界・永眠・天寿、等の言葉が見受けられるが、これもふさわしくない。
 「他界」;霊山浄土は他の世界ではなく、われわれの世界と密接にリンクしているから、 「他界」の言葉はおかしい。
 「永眠」;死者への思い出は恐怖しか残っていない。思い出したくもないから、ずっと      眠らせて遮断したいとの勝手な願いが見えている。
 「天寿」;寿命は天が決めるのではない。延ばすも縮めるも自分である。いただいた命      を精一杯生きるのが私たちの努めである。

仏教では、亡き人は霊山浄土で仏となられ、休む暇なく(もちろん眠る暇もなく)私達を真実に目覚めさせようと、働きづめにに働いて下さると教えられる。
だから、決して「永眠」とは言わない。
「死」は日常の延長の「眠り」ではない。「死」は「死」であり「眠り」などと死を直視しないのもどうかと思われる。

基本的には霊山浄土に往き、そして仏となる事を祈ります。「死」に対しては、『死去』『死亡』『逝去』という言葉を用いたい。

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