大分押し詰まりました

2022/12/30

聖人の御一代を、安永8(1779)年に日諦と日耆が記述した『高祖年譜』によると、文永6(1269)年聖人48歳のとき、蒙古の使者が国書を持って我が国へ来たことが記されており、そのことを深く思いめぐらした聖人が、甲州の富士吉田へ出かけて、『法華経』の全巻を書写し、「富嶽の半嶺」へ埋めて、国土の安穏と後世の流布を祈願されたことが記されています。

外敵によって国が滅亡することを深く憂えた聖人は、自ら富士山へ出かけて行き、その中腹に諸経の王・護国の経典たる『法華経』を埋め、千眼大菩薩に「国家の安泰」を祈られたのでした。

富士山本宮浅間大社では、富士山の神である木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)がまつられていますが、富士山を神として尊崇し、「富士講」という講社も結成されて、毎年登拝する人々が数多くみられます。

身延山でも毎年参拝者をつのり、5合目にある「富士山経ヶ岳常唱殿」へ集まって一会の法要がいとなまれています。

日蓮聖人が『法華経』を埋経されたので、この地一帯を「経ヶ岳」と称するようになっていったと言われています。聖人御一代を「絵伝」として世にのこされた植中直斎画伯の描いた「日蓮聖人絵伝」は、「善日麿御誕生」から最後の「経一麿へ付嘱」に至るまで、97篇の絵で飾られていますが、その64番目に「富士山経ヶ岳」の絵があり、埋経の模様が描かれています。

「富嶽の半嶺」という天地境の5合目に『法華経』を埋経して、富士千眼大菩薩に、世界の平和と人類の安穏を祈願されたことは、「立正安国」に向けて極めて意義の深いものがあったといえましょう。国際記念物遺跡会議の勧告をへて富士山が世界文化遺産となったことはまさに当を得たことであり、「世界の富士山」として、永く人類から尊崇されることであろうと思います。

日本の中心にある富士山、此の処に生を受けて本当にありがたいことです。令和4年も押し詰まりましたが全てものに感謝申し上げます。来る年も益々よい年でありますように「南無妙法蓮華経」合掌禮拝!!

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