六波羅蜜

2018/11/06


 暑さ寒さも彼岸まで〃春分と秋分の日は、一日の昼と夜の長さがほぼ同じです。しかも、太陽は真東から上り真西に沈みます。こうした自然現象が右にも左にも偏らないお釈迦さまの説かれた教えと重なって「中道」の思想のお彼岸という仏教行事になりました。
 お彼岸とは「パーラミーター」という古代インド語を漢訳したものです。摩訶般若波羅蜜多心経の波羅蜜多(はらみった)のことであって「到彼岸」と訳します。仏教では、いろいろな欲望や迷い悩み多い現実世界を「此岸」(しがん)といい、苦しみのない理想世界を「彼岸」(ひがん)と教えます。迷いの此の岸を去って悟りの彼岸に渡り達するという意味であります。
 彼岸に渡る方法として、1.布施(めぐみ)2.持戒(つつしみ)3.忍辱(しのび)4.精進(はげみ)5.禅定(しずけさ)6.智慧(ちえ)の六波羅密あるいは六度と中しますが、この六つの実践、が「中道」という生き方なのです。
1. 布(ふ)施(せ)とは、(与えよう 物でも心でも)いつくしみの心をもって物でも心でも施し与えることです。こう言いますと中には「私は施したくても施すものがありません、世話をしたくてもそれだけの力がありません」といわれる方もおられるかしれませんが、日常人々に笑顔で接したり、重い荷を持つ年よりには手をかし、バスの中では席を譲るということも立派な布施であります。われもひとも共に喜ぷところに真の幸福があるとのおしえであります。
2. 持(じ)戒(かい)とは、(守ろう きまりや約束)しあわせな生活は持戒の徳の上に築かれていくものであります。ことに人命を尊重することは、仏教の幸福と平和の根本精神であります。
3.忍辱(にんにく)は、(耐えよう どんなことにも)忍辱の忍は刃に心と書きますが、心に刃があったらこれはじっと我慢するしかありません。辱ははずかしめですから、忍辱ははずかしめを堪え忍ぶことです。でも耐えることは、自分を殺すことではなく忍辱によって自分を磨き上げることが大切です。さらに、自己のむさぼりの心を制し、いいかげんな生活をつつしむと共に外からの誘惑や苦難にも耐え忍ぶ強い意志をもたなければならないということです。
4. 精(しよう)進(じん)は、(励もう 自分の仕事に)努力することであります。どんなに頭が良くても素質があっても、努力なしには宝の持ちぐされであります。たゆまずに勤めおこたらない努力の継続が精進であります。精進の裏づけは忍耐であります。
5.禅(ぜん)定(じよう)とは、(おちつこう 心しずかに)せわしい時代にも心を常に落ちつけて仕事に専念することであります。あわただしい毎日のわずかの時間を坐禅に、また仏前での五分間ほどの端坐で心を落ちつけることも禅定であります。
6.智(ち)慧(え)とは、(めざめよう 仏の道を)知識とは異なります「仏道を習うというは自己を習うなり」と道元禅師のお示しの如く誰にでもある仏さまの智慧、仏の道に目ざめることであります。 以上かいつまんで六波羅蜜について申し述べました。
 国民の祝日に関する法律の中に、春分の日は「自然をたたえ、生物をいつくしむ日」、秋分の日は「祖先を敬い亡くなった人々を偲ぶ日」と定められています。しかし、現在の日本では春分の日も秋分の日も共にお彼岸の中日として、国民の間に定着し、宗派を超えてお墓参りに行くことが一般的な習俗となっています。
 お彼岸にはお墓参りをしますが、その時にかかせないのが、水、塗香、花、線香、飲食、灯明などを供えることは六波羅蜜を実践することになるとされます。
即ち水はすべての生育の基となるもので「布施」。塗香は悪臭を除き身心を爽快にするということで「持戒」。花は人の心をやわらげ、怒りを鎮めるので「忍辱」。線香は火のともっている間は芳香を漂わせるので「精進」。飲食とはおはぎのような供物は食すと気分が落ち着くので「禅定」。灯明はローソクの明かりのように暗闇を照らす「智慧」を思い起こします。
 こうした教えは、本来彼岸中だけでなしに、常に心がけていればけっして道をはずれることがなく、彼岸に至れることを教えているのです。
 お彼岸には祖先を敬いながら、お釈迦さまの教えである「六波羅密」のひとつだけでも実行していきたいものであります。お墓まいりをする時に、わが家の墓ばかりでなく無縁となった人々の墓石に黙って花を供えてまわることも尊い菩薩の六度行であります。

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