2023/11/10
一心不乱
受験勉強に一心不乱であったとか、一心不乱に何かの練習をしたとか、使っていますが、「一心不乱」とはどんな状態を指す語なのでしょう。一遍上人語録に、「我体を捨て南無阿弥陀仏と独ーなるを一心不乱というなり」とあるように、もともとは、仏を念じて心の散乱動揺しないことを指します。ほかに気をとられず、それに一所懸命になることです。一所とは極楽浄土のこと、懸命とは命を懸けることです。
ついでながら、最近の国語辞典には「一生懸命」と、「所」ではなく「生きる」方を強調しているようですが、一生命がけでは意味がボケているように感じます。わたしの住んでいる新潟附近の人は、「いっしょけんめい」と発音する人が多いので、まだ本来の意味に近いといとにかく極楽を思い、仏を念じて全身全霊で念仏することを一心不乱と言いました。でも、念仏に限らず一心不乱になるということは大切ですね。最近は「ながら族」が増えて、テレビを見ながら勉強する、ラジオを聞きながら止事をする、何か食べながら本を読む等、どっちをやっているのかわからない人が多くなってきました。そして結局は、どっちも中途半端なんです。私たち凡人の能力は、たいしたものではありません。一つのことに懸命になり一心不乱にやってもまだできないものを、ほかに気をとられながらやっては、どうして良いことができましょうか。
上杉鷹山の歌になせばなるなさねばならぬ何事もならぬは人のなさぬなりけりという一首があります。
可かやろうと思つたら、それを一心不乱にやるそしてやり遂げる。そういうことが大切ではないでしょうか。
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