安心

2023/11/03

この言葉も、「上品」や「学生」などと同様、時代とともに読み方が変わってしまった言葉です。
元々の仏教読みではあんじんと発音されてきましたが、江戸時代頃よりあんしんと発音されはじめたようです。しかし、いずれの読み方にしましても、「安心」とは、心が安らかであることを指すのに変わりありません。つまり、仏法によって得た深い心の安らぎ、動ずることのない確かな境地を言うことばです。
私たちが安心していない時とはどんな時でしょう。それは恐ろしがっている時、迷い悩んでいる時ですね。恐ろしさから逃れ、迷いを断つことができれば自ずから安心という状態が得られるでしょう。恐ろしさの原因は相手を信じられない心にあり、迷いの原因は自分の欲望からくる煩悩にあります。自分勝手にデッチあげた、ありもしない妄想にふりまわされてはいけません。早く仏さまを信じて、その教えによって迷いを断つことが肝要です。観音さまは施無畏といいまして、私たちの心に安心を与えてくださる名医です。
「無垢清浄の光あって慧日諸の闇を破り、能く災の風火を伏して普く明らかに世間を照らしたもう」
仏さまの汚れなき清らかな光に、己の煩悩の闇を照らしていただき、おさとりを得た明るい安心の毎日を送りたいものです。さとった人にとっては恐ろしいものはありませんし、山川草木に至るまでみんなわが味方です。
峰の色、渓のひびきもみなながら、わが釈迦牟尼の声と姿と

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