宗教とは

2025/03/28

 先日タクシーに乗った時のことです。運転手さんが私の坊さんスタイルを見 て、「私は宗教は嫌いだよ」と話しかけてきました。突然のことに私が返事に困っていると「お寺さんが一番いいよね」とのことでした。そこで、どうやらこの人の言う「宗教」とは、最近新聞を賑わしている新宗教のことらしいと合点がいき、私も少しホッとすることができました。
 それにしても、「宗教」という言葉から連想されるイメージは多様ですね。 広義から狭義までたくさんある上、最近は、犯罪者を偉人視する価値観倒錯現象まで、宗教の仲間に入れられているようです。狂信者・カリスマ・教祖等々がすべて同一の宗教者という範疇に括られているのでしょう。そこで、本来の宗教の意味を少し考えてみたいと思います。 まず、リリージョン(神との契約)を宗教と翻訳したことから、「宗教」の定義がおかしくなり始めたと考えてください。頭を古き昔の時代まで遡らせて、「宗教」という字の成り立ちから考えてみますと、「宗」とは<家(宀)の 中に示(神)をまつるみたまや>のことだと解ります。ここでの神とは祖先神のことですが、それが転じて物事の大元を表わす意となりました。
 儒教ではこの字を<ソウ>と読み「万物の宗」などと使いますが、仏教では <シュウ>と読み、大元の教え、第一義を指します。「宗」の持つ深い意味合いは言語で表現できませんが、これを説けば「教」となって人を教え導くことができます。ちなみに、中国の宋から明の時代にかけては、宗と教が並べられ、宗は禅門を、教はその他の仏教を指したことがあるそうです。
 お釈迦様は「宗」を悟り、「教」をもって人々を化導なされましたが、その後の僧侶はどちらかに片寄り、人々に尊ばれるだけの師=宗師と、教化に力を入れる師=教師に分かれることが多くなったようです。宗師も教師も坊さんのことですが、現今ではお寺と無関係の教師がやたら増えたようですね。
 いずれにしても、本来の宗教とはこれほど大切なものです。「宗教お断り」の貼り紙が見かけられる日本は、どこか歪んでしまったようです。

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