冗談でしょ

2025/05/09

冗談・戯論
 冗談の「冗」は当用漢字ですが、その正字は「宀儿」と書きます。「宀」は家で、「儿」は人のことです。つまり、農事がヒマで人が家に居る状態を指すのがその字義ですから、これに「談」をつけるとヒマな時の話ということで、ひまつぶしにする無駄話ということになりそうですね。
 仏教では古来、<仏道修行に関係のない無用の雑談>を「冗談」と言ってまいりました。その字義から転じて、一般には「ふざける」とか「たわむれる」とかの意味にも使われるようになったのでしょうが、仏教では「たわむれる話」のことを「戯論(けろん)」と言って、冗談とは別にしております。
 この戯論も<仏道修行に関係のない論>のことですから、冗談とともに戒められてきたことは申し上げるまでもありません。遺教経には、「種々の戯論 は其心即ち乱る……急(すみやか)に乱心戯論を捨離(しやり)すべし」とあります。
 もう少し「戯論」についてお話しいたしましょう。戯論はさらに「愛論」と「見論」とに分かれ、愛論とは<事物に愛着する迷妄の心から起こる不正の言論>を指します。そして見論とは<諸種の偏見から起こる言論>で、現代人が多く落ち入る戯論といえましょう。 昔から、愛論に固執したがる者の代表として、鈍根の者(にぶい人)、天魔、凡夫等が挙げられ、また見論に固執したがる者の代表としては、利根の者(かしこい人)、出家、外道等が挙げられてきました。どちらも自分の物にこだわり、自分を主張することに余念がありませんので、本来の悟りとは縁遠い存在となります。
 ところで、冗談に似た語で「冗句」というのがありますが、これは英語のジョーク(Joke)にそれらしき漢字を当てはめたもので、昔からあった語では ありません。
 いずれにしても冗談や戯論は、冗舌や冗長に結びつきやすく、人からあきれ かえられる元にもなります。限られた人生を有意義に過ごす為には、お互いに おしやべりや文章にも気を配りながら、楽しく交流してゆきたいものです。

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