2025/05/16
上品下品
「あの人は上品だ」とか「品がある」とかは誉め言葉であり、「下品な人」とか「下品なまねはするな」とかは人を貶(けな)して言う言葉になりますね。では、この「上品」とか「下品」という語は、一体何から来た言葉なのでしょう。
極楽往生の教えにこの上品・下品が出てきます。「品」は仏教読みでは「品」と読みますので、上品は「上品」、下品は「下品」となります。それが一般で使われるようになって、いつのまにか「上品」「下品」と読まれるようになりました。また、「ヒン」が良いのは人間で、「シナ」がよいのは人間外といつた読み方による区別も出てきたようですが、とにかく、その元の「品」のお話をいたしましょう。
仏教では、人の資質や才能を上品、中品、下品に分け、またそれをさらに、それぞれ上生(じようしよう)、中生(ちゆうしよう)、下生(げしよう)に分ける考え方があります。つまり九段階に人間の機根(覚りへ至る能力)を分けて、それぞれに応じた救済を考えているわけですね。たとえば、上品上生なら文字通り品格があって、仏さまに近いくらいに出来の良い人ですし、下品下生といえば、世間の価値判断からすれば、全く救いようのないくらい劣った人ということになります。しかし、「仏身は法界に充満し、普く一切群生の前に現ず」と回向文にあるように、仏さまは、この世界のどんな隅々にも目を配って我々凡夫を救ってくださいます。 仏教では九段階の分け方ですが、学校では五段階とか十段階とかの評定がありますね。これは主に学業の成績によって子供の評価付けをしているわけですが、ただ分けるだけでは困りものです。仏さまはその人の機根に応じた教え方で、確実に下品から上品へと引き上げ、最終的にはすべての人を成仏させてくださいます。学校の先生も最大公約数的な教え方ばかりでなく、仏さまに見習い、子供一人一人の前に現れて、一人一人を確実に引き上げるよう努力したらどうでしょうか。
そうすれば、おちこぼれどころか、みんな成仏ならぬ満点の生徒になろうというものですが・・・・。
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