2025/06/27
「今日はずいぶん寒いですね」とか、「あなたはずいぶん頑張りました」等と使われるずいぶんを漢字にすると、「随分」つまり<分に随う>と書きますね。通常は「随分」といえば<非常に>とか<大いに>などと同義に使われているようですが、本来は<分際に応じて>とか、<分相応>という語義でありました。
仏教でいう「分」とは一部分のことであり、「分位」と言えば変化発展の一段階のことを言います。無上正等覚という完全なおさとりに達する以前に、それぞれの分位に応じた覚りがあるとして、段階を設けているわけですね。この一部分、一部分に真如の真相を証得してゆく「随分覚」という段階があります。これは能力に応じた覚りですから、たとえば小学生段階の学習をまず 理解して、次に中学生、さらに高校生段階の学習へと順を迫って理解度を高めてゆくようなものでしょう。
もちろん、私たちの覚りと仏さまの覚りが比較にならないことは、相撲の幕下優勝と幕内優勝が比較にならないのと同じです。しかし、各段の優勝であろうと優勝に違いはないように、「随分覚」であろうと覚りには変わりありませんから、やっぱりその段階にまで達したことは、じゅうぶん誉められてしかるべきでありましょう。
また、伝教大師最澄の著者『顕戒論』には「随分の威儀」が説かれ、その人の能力に応じ、分にしたがって戒律を守れば良いと書かれております。そして、たった一つの願いを守って人の心を大切にする人を一分の菩薩、なすべきことを充分になすことによって、人の心を大切にしてゆく人を具分の菩薩と言うと書かれています。
私たちは、まずこの一分の菩薩から始めなければなりません。そして自分の分位にしっかり立脚して、たとえ一隅であっても社会を照らしながら、文字通り、随分頑張ってゆきたいと思う次第です。
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