2025/08/15
<世間話をする>、<世間知らずだ>、<世間体が悪い>等と使わる「世間」という語ですが、他にも、自分を取り巻く外界を世間と呼んだりもします。とかにく世間の口はうるさいですが、それに耐えて世間に出て活動すれば、世間の広い人になります。
このような用法から考えますと、どうやら「世間」とは、世の中とか自分 がそこに属さない範囲を表す呼称のようですが、本来の「世間」とは、どのよ うなものを指すのでしょうか。
仏教語としての「世間」の意味もさまざまですが、一口に言えば、要するに お悟りの世界から離れた迷いだらけの俗世界のことを指します。だから自分にはあまりプラスにならないような、どうでもよいところ、距離を置くべき世界が世間だといえます。つまり、世間並みの人間になっていけないということでしょうか。
しかし、よく考えてみますと、自分もまた世間の一員であることは否定できません。私たちの生きるこの世は無常であり、いろんな苦しみや悲しみがあふれ、人々はそのような現象世界から解放されようと藻掻いています。悩みから迅れるために自殺したり、悩みを忘れるために深酒に溺れたり、こらえきれずに暴走する人もいます。でも、そんなことではこの世間から解放されることは できません。
本当に世間から解脱すること、 居ながらにして世間を沼Jえてゆくためこま、仏法に従って早くお悟りを開くことこそ肝要なのです。仏さまは、私たちの暮すこの世間を透徹した眼(代眼)でお見通しになり、私たちに女いの手を伸べてくZ'さっています。世間の巷に交っていても、心は高く真妃の都にあそび、感謝の毎日を送れるようになりたいものですね。
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