2025年 9月 9日 15:09 の記事

2025/09/19

令和〇年〇月〇日、拙僧の師匠が遷化致しました。 生前中に賜わった皆さまからの暖かいご厚情に、深く感謝申し上げます。
このような挨拶ををよく寺院では使います。遷化」という言葉を寺院では普通に使いますが、一般的にはあまり使われない言葉です。
 「遷化」という言葉は、一般的には僧侶の死去を表す仏教用語です。 「遷」は“移す”という意味、「化」は“教化”の“化”であり、もともとは菩薩がこの世での教化の縁が尽き、他の国土へと移って教化を続けることを指していました。
時代が進むにつれ、高僧の死去を「遷化」と呼ぶようになり、さらに一般僧侶にも礼を重んじて使われるようになったようです。つまり、本来は畏れ多い言葉であり、気軽に使うべきではないのかもしれません。
 この「遷化」という語を調べるうちに、私はこんなことを考えました。 私たちはこの世に何のために生まれてきたのか──それを大きく分けると、二つの目的があるように思います。
修行のために生まれてきた者  迷いの多いこの娑婆世界で、煩悩を断ち、心を磨くために生きる者。
教化のために生まれてきた者  他者を導き、教えを伝えることで、共に向上しようとする者。
これは学校にたとえるなら、生徒と先生のような関係です。娑婆という学校で、共に暮らし、共に学び合う共同体の一員として、それぞれが役割を担っているのです。

🌸「不取正覚」の誓願に学ぶ
 仏教には「不取正覚(ふしゅしょうがく)」という誓願があります。 これは「私は成仏せずに、迷える者と共に暮らす」という菩薩の願いです。
 私たち凡夫にとって、教化などは難しいかもしれません。それでも、「自分だけが救われればいい」という思いを捨て、迷える人々と共に歩むという姿勢は、現代においても大切な心の在り方ではないでしょうか。
 師匠の遷化をきっかけに、私は「生きること」「教えること」「共に歩むこと」について改めて考えさせられました。 仏教の言葉には、単なる知識を超えた、私たちの生き方を照らす光があります。
 皆さまもぜひ、ご自身の胸に手を当てて、「自分は修行者か、教化者か」を問い直してみてください。 その問いの先に、きっと新たな気づきがあるはずです。

 

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