2025/10/17
お経には、こんな一節があります。
「善をなすのを急げ、悪から心を退けよ。善をなすのにのろのろしていたら、心は悪事を楽しむ」まさに「善は急げ」という言葉の原点とも言える教えです。善いことは、思い立ったらすぐに行うべき・・・それが仏教の基本的な姿勢なのです。
仏教における「善」とは、単なる道徳的な善悪ではなく、正しい道理に従い、道理にかなうことを指します。 そして、その道理に反することが「悪」とされます。
仏教では「因果応報」の教えがあり、善悪には必ずそれ相応の報いが訪れると説かれています。だからこそ、「善は急げ」「悪は延べ」の教えに従って、日々の行いを見つめ直すことが大切なのです。
善には二つの種類があります。
報善とは果報(報い)を期待して行う善
習善・行善は結果を考えず、ただ善を積み重ねること(大乗仏教で重視される姿勢)
私たち大乗仏教徒が目指すべきは、習善です。 見返りを求めず、ただ善を行う・・・それが真の修行であり、仏道の本質なのです。
中国・梁の武帝は、仏教を深く信仰し、多くの善行を積んできました。 ある日、インドから来た達磨大師にこう尋ねました。
「私は仏教のために多くの善いことをしてきた。何か善い報いはあるか?」
達磨大師は即座にこう答えました。
「無功徳(むくどく)」
武帝は怒りましたが、後にその意味を悟り、さらに熱心な仏教信者となったと伝えられています。この逸話が教えてくれるのは、「善を行うことに報いを求めるのは、本質から外れている」ということ。 達磨大師の言葉「結果自然成(けっかじねんじょう)」・・・結果は自然に成るもの。それを目的にしてしまえば、修行は転倒してしまうのです。
仏教では、善いことを急いで行おうとする信者を「善男子善女人」、略して「善男善女」と呼びます。 それは、見返りを求めず、ただ善を積み重ねていく人の姿です。
私たちも、日々の生活の中で「善は急げ」の心を忘れず、 結果を気にせず、ただ善を行う・・・そんな生き方を目指していきたいものですね。
人間はいつ死ぬかわかりません。だからこそ、「無常」を悟り、今この瞬間を大切に生きることが求められます。「見ずや君、明日は散りなん花だにも、力の限りひとときを咲く」この一句のように、私たちも一瞬一瞬を咲かせるように、善を積み重ねていきましょう。
お問い合わせやご質問等についてはこちらよりお願いいたします。
また、毎月の鬼子母神講(毎月8日 午後7時)や七面さま講(毎月18時 午後2時~)へのご参加も
心よりお待ちしております。
日蓮宗 妙栄山 法典寺
〒418-0023 静岡県富士宮市山本371-1
Tel.0544-66-8800
Fax.0544-66-8550