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2025/10/10

何かに「念じる」と聞くと、わき目もふらずに一つのことに打ち込む姿が思い浮かびます。「専念」とは、「もっぱら念ずる」こと・・・つまり、ただ一つの対象に心を集中させることです。では、その「ただ一つのこと」とは何か。仏教において、それはもちろん「仏さま」のことです。「専念」とは、仏を念じ、仏に心を向けること。そこに、私たちの信仰の原点があります。
お題目「南無妙法蓮華経」の力
日蓮宗では、「南無妙法蓮華経(なむみょうほうれんげきょう)」と唱えることが、最も根本的で重要な修行とされています。 日蓮聖人は、末法の時代において万人が救われる唯一の道として、このお題目を示されました。
なぜお題目が大切なのか
・法華経の教えそのものを称える行為である
・仏の智慧・慈悲・功徳がすべて込められている
・仏と一体となる道である
日蓮聖人は、「お題目を唱えることが即ち仏道修行であり、万人に平等な救いである」と説かれました。
 お題目の素晴らしさは、その実践のしやすさにもあります。
・老若男女、学問の有無に関係なく誰でもできる
・時間や場所を問わず、いつでもどこでも唱えられる
・難しい経文を理解しなくても、仏の功徳に結ばれる
日蓮聖人は、「妙法に出会えたこと自体が、無量の過去からの善根の積み重ねによるもの」と説かれています。つまり、今この教えに触れられていること自体が、すでに尊く、ありがたいのです。
お題目には、さまざまな功徳が説かれています。
代表的なものを挙げると~
功 徳 内 容
現世安穏 今の生活が守られ、心が穏やかになる
後生善処 死後も良き世界に生まれ変わる
業障消滅 過去の悪い因縁やカルマが浄化される
福運増進 家庭、仕事、人間関係などに幸せがもたらされる
仏果成就 最終的に仏の境地に達する
これらの功徳は、私たちの人生を支え、導いてくれる光となるものです。
さて、私たち凡夫は、日々の生活の中で何かに「専念」できているでしょうか。 「いつまでも生きている気の顔ばかり」──そんな世の中にあっても、人間はいつ死ぬかわかりません。だからこそ、「無常」を悟り、「見ずや君、明日は散りなん花だにも、力の限りひとときを咲く」という心持ちで、今この瞬間を大切に生きていきたいものです。
お題目を唱えることは、仏を念じる「専念」の実践であり、私たちの心を仏の智慧と慈悲に結びつける道です。 その一念が、三千世界を動かす力となる──そんな壮大な教えに、私たちは今、触れているのです。ありがたいことですね。

 

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