2026/06/05

願い・発願・願主
「願」と言っても「願い」と言っても、同じく〈求めることを定め、それを得ようとすること〉を指します。また「発願」とは、そのような〈願いを発す〉ことですが、その願いの内容となるとさまざまでしょう。そこには、願いを発す人、つまり「願主」の人柄や生き方、あるいは物の見方等が如実に出てしまうと言つても過言ではありません。
「願」とは元々、仏・菩薩のものでした。その願いとは、菩提(さとり)を求める心=上求菩提と、衆生(みんな)を救いたいという心=下化衆生から出てくる願いであり、これを「ニ利の願い」と申します。僧侶の書く手紙などに「御健勝にてニ利御双修のことと拝察致します」という文がよく見られますが、「ニ利双修」とは、上求菩提という自利と、下化衆生という利他の二つを表しています。
私たち凡人は、自利を求めることはよくしますが、利他となると、なかなか求めようとしません。自分の利益の為にはよく動くが、他人の利益の為には動こうとしないからです。仏・菩薩の「ニ利」と私たちの「ニ利」とではレベルが違うにしても、自分をさしおいて他人を先によくしてやろうとすることは成し難いことす。しかし、発願するからには、利他の方を先にするのが本来であることをしっかりと覚えておいてください。
「今生の未だ過ぎざる際だに急ぎて発願」し、「己れ未だ度らざる前に一切衆生を度さん」という自未得度先度他の心を発し、仏さまに習って菩薩の道を行くことが仏教徒の理想です。そのために昔のお祖師さまたちは、「発願文」なる文を作ってご精進なさいました。今では発願文というと、法要の時に導師が施主の願いごとを述べる表白文を指すことが多いようですが、施主の願いが「ニ利双修」の願いならよいのですが、自利自利ばかりではいただけません。本当の「願」、本当の「発願」とは、普ねく自他を利する利他行であることを願主は心得ていたいものです。

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