2026/06/12

ネコとシャクシ
「最近はどこの会社でもパソコンが普及して、ネコもシャクシもパソコンに向かつている」などとよく言いますが、この「ネコ」と「シャクシ」には通常「猫」と「杓子」の字を当てていますね。しかし、本来はどんな字であったのかについては異論のあるところです。「寝子も杓子も」だとか「女子も弱子も」だとかいう説もあって、それぞれがもっともらしい説明をしていますが、本当のところはどうなのでしょうか。
ところで、ここでは仏教語として取り上げるわけですから、これを「禰宜も釈子も」だとする説をご紹介しましょう。上記の諸説に共通するのは、〈誰も彼もが〉ということですから、「禰宜も釈子も」という説も当然そのような意味を強調しています。
まず「禰宜」とはねぐの名詞化したもので、古くは神様の心を慰めるものの称でした。神道においては宮司の下にこの禰宜が配置され、祭事を執り行っています。宮司が社長なら、さしずめ禰宜は専務というところでしょうか。神道にはもう一つ神主という呼び方もありますが、これらはいずれも神職を表す語ですね。一方の「釈子(釈氏とも書く)」ですが、これはもちろんお釈迦様の弟子とか釈迦の系統を引く者の意味です。ですから一般的には、僧侶あるいは仏教徒はすべて釈子と解してもよいでしょう。このことから〈誰も彼もが〉を「禰宜も釈子も」と言ったのだという説になるのです。
ここで「釈子」についてもう少しお話をしたいと存じます。古来、人は出家すると釈子(釈氏)となり、世間でいう親子の縁や姓を捨てて平等となります。いや、仏道を歩む者は出家せずとも釈子と言ってもいいのです。仏教は大海の如く一味であり、皆ともに成仏をめざすものだからです。「餓鬼道へやるはシャクシの盛りこぼし」という川柳は、釈子と杓子をひっかけた味のある句と言えましょう。
願わくは、猫も杓子も釈子となり、速かに成仏してほしいものであります。

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