富士、富士宮、納骨堂と永代供養塔「仏教教義」

2020/12/03

奈良時代になると、仏像や経典などは日本にどんどん入ってくることになります。とかし、肝心要の仏教教義が日本国民に浸透するには少し時間がかかりました。当時、大陸から鑑真和尚を招来し、やっと戒律などが整い、仏教教義の勉強も盛んになり多くの学問所が必要となりました。そして、ついに奈良の東大寺に大仏が造られ、各地で仏像や寺院の建立が盛んになりました。特に、奈良の薬師寺のように病気平癒のために薬師如来などの仏像が建立され、仏教の現世利益を求めるようにもなりました。

されど、依然社会は安定をせず、戦や疫病の流行、地震や洪水などの自然災害はいうに及ばず、さらに遷都などもあり、民衆も疲弊していました。そのような中、大陸から新しい仏教を持って帰ってきた僧侶たちがいました。それが、「最澄」と「空海」です。最澄は大乗仏教の真髄ともいわれる天台教学を学び、空海は密教を極め、持ち帰ってきました。また、最澄は滋賀の比叡山、空海は和歌山の高野山を拠点とし、修行道場を開き、多くの僧侶がそこで学びました。

しかし、世間では仏教が滅び暗黒時代が始まるという「末法思想」が広まりつつありました。末法とはいうのは、お釈迦さまが入滅された後、二千年が経つと仏教が滅び国も衰退するという考え方です。現世での幸せが期待できない状態を苦しんでいる時、阿弥陀仏を信仰して来世の幸せを願う浄土信仰が盛んになりました。法然上人が布教を進めて、宇治の平等院なと建立されてゆきました。

 

 

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