富士、富士宮、納骨堂と永代供養塔「廃仏毀釈」

2020/12/09

鎌倉時代通り過ぎると、政権が貴族から武士に移行し、武士道にも通じる禅の教えが取り入れられるようになり、武家社会の中にも仏教が浸透してゆきました。特に鎌倉から京都に政権の中心が移った室町時代には、前の影響を受けた水墨画、庭園、茶の湯、生け花などが花咲きました。

天皇や貴族たちの「鎮護国家」や個人的な病気平癒祈願を目的とした仏教から、庶民にも仏教が広まり、やがて死者供養も仏教が担うようになってきました。

その一方、政権を担った徳川家康は寺院奉行を設置し、民衆は必ずどこかの寺に登録しなければならない「寺請制度」を発令し寺院が幕府の統治体制を担うことになりました。(キリスト教の締め出しを目的ともしていました)その後,残った檀家制度も永く続きましたが、現在は檀家制度そのものは消滅してありません。しかし制度は無くなりましたが、檀信徒と菩提寺という関係はそれぞれの相手同士で契約が結ばれている現状です。それでも江戸の各地では出開張や七福神詣などが盛んになんり、庶民は寺院を参拝することが楽しみにもなっていました。

しかし、明治時代に移ると政権は神道を重視した政策を打ち出しました。それが忌まわしい「廃仏毀釈」です。この時期、寺院は一気に減少し、国宝級の仏像が破壊されて捨てられ一部は海外にも流失してしまいました。日本一の冨士山からも仏教に関わるものは全て捨てられてしまいました。今後二度とあってはいけないことです。

 

 

 

 

 

 

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