富士山

2018/10/22

富士山は仏教信仰の聖地

富士山と仏教信仰のつながりは、古くは聖徳太子からで、以降仏教信仰との結びつきがみられ、多くの仏教にまつわる伝承が遺されています。

富士山は仏教信仰の霊山であり、登拝と遥拝の二つの信仰面があるといわれます。世界文化遺産に認定されたのは、富士山の文化面が認知されたからであり、富士講に象徴されるように、信仰面が切っても切れないことは言うまでもありません。仏教信仰の存在が富士山の文化や歴史を物語る上で重要となっています。

富士山は山自体が信仰対象となることにより、山頂や山内各所に神仏が祀られました。富士吉田市歴史民俗博物館の平成20年企画展「富士の神仏」には、大日如来、不動明王、地蔵菩薩といった富士山に祀られていた仏像が数点紹介されました。ところが、あまり知られていない仏像として、日蓮宗の開祖日蓮聖人像があります。この像は現在、日蓮宗宗門史跡に指定されている静岡県の車返霊場祖師堂内に安置されており、かつて富士山頂に安置されていたものであることが、台座の銘文より知ることができます。

富士山は、鎌倉時代にも霊山として崇拝されており、日蓮聖人の弟子日興上人は、富士山が日本第一の名山であることを認識し、大石が原(富士宮市上条)の地に戒壇を設け、これは大石寺として発展していきました。この地域には日興上人ゆかりの富士五山がありますが、すべての寺院に富士山という山号が付けられています。

日蓮宗の総本山身延山の守護神七面大明神は、末法の世を守護するといわれ、信仰されていますが、頂上の敬慎院では、御来光を拝する御来光信仰=太陽信仰があります。朝起きて御来光を拝み、それから朝の勤行を始めます。春秋彼岸の中日には富士山から昇る朝日を拝めることもあり、七面山登詣者にとって富士山そのものが礼拝対象となっています。

日蓮聖人と富士山とのつながりについて、山川智応著『日蓮聖人』には「文永六庚午、今年富士山に登り、その中腹に法華経を埋めて鎮国に擬す。後世経ケ岳と称するは是なりと伝ふ」とあることから、文永6(1269)年5月、聖人48歳の時といわれています。江戸時代以降に作成された日蓮伝記をみると、富士山経ケ岳(嶽)の存在が確認でき、伝記を構成する重要な場面として定着をしていきます。

 

現在、富士山吉田口五合五勺付近にある経ケ岳は、日蓮聖人埋経の霊地と伝えられ、塩谷平内左衛門家によって代々守られていました。例年7月1日の山開きには、塩谷家所蔵の祖師像を背負って登山し、山小屋に安置して礼拝したといいます。平内は、富士吉田の神職でしたが、日蓮聖人の教化を受け、受戒して本尊を賜っています。富士吉田市には塩谷家ゆかりの上行寺があり、平内は出家して日仙と称し、自ら同寺の2世となっています。

日蓮伝記と富士山信仰のつながりが強調されるようになると、富士山内のいくつかの場所が日蓮聖人ゆかりの霊場として顕彰されるようになります。主な霊場は経ケ岳で、よく知られているのは吉田口五合五勺の位置にある場所です。他にも、村山口に経ケ岳が存在したといわれ、富士宮市大泉寺には、富士山安置の天拝祖師像、木版刷女人堂安置・開運祖師大菩薩像が伝わっています。他にも本栖湖から登った付近にあったという説があります。どの場所が富士山経ケ岳であるのか、確証たる史料がないので特定することはできません。塩谷平内と日蓮聖人の話から推察すると、吉田口の場所が妥当であると考えられますが、経ケ岳の存在を史実として確証するには資料的な限界があります。いずれの説にしても、富士山と日蓮伝承が残されていることは注目に値します。

『富士山真景の図』をみると、日蓮聖人の霊場経ケ岳、姥ケ懐が描かれ、吉田須走拝所には「法華塔」といわれる題目塔が存在し、これらは富士山と法華信仰のつながりを証明する貴重な資料といえます。他にも、天保9(1838)年『法華富士の記』(信州大学附属図書館所蔵)をみると、富士山頂付近に「法華開会塔」が描かれています。

江戸時代の首都江戸には、法華信仰をもつ人が多く、江戸十大祖師、八大祖師霊場が誕生し、鬼子母神、七面大明神、清正公といった法華の守護神が各地に安置されていました。身延山が日蓮聖人の墓所がある寺院と知ると、遙か片道3、4日を要する霊地に向かった信仰の旅に出たわけです。富士山登拝は、富士講の信仰儀礼であるため、江戸に住む富士講中は遙々富士山に出かけました。江戸町人の中には法華信仰を持つ者も多く、庶民の娯楽・双六にも身延山参詣のことが取り入れられるほどで(「身延双六」)、往路の甲州街道の途中に富士山登詣が案内されています。

『法華霊場記』には、「須走は富士山の麓也、絶頂迄登り十里、一合目より次第諸尊、勧請八合目宝塔、絶頂祖師堂、玉沢日桓上人開基なり」とあり、須走口にあった祖師堂の存在を確認できます。道中に仏教諸尊が勧請され、頂上の祖師堂は、玉沢妙法華寺41世日桓上人の開基であることが記され、これは富士山と日蓮宗との結びつきを考える上で興味深い記述といえます。

これを裏付ける資料として天理参考館蔵の「富士山絵図」には、須走口に法華開会塔(宝経塔)と祖師堂(安国高祖大菩薩開会堂)が建立され、山頂に絶頂宝塔が描かれています。途中、一合目・七面大明神、二合目・八幡大菩薩、三合目・天照太神宮、四合目・鬼子母神、五合目・得大勢至菩薩、六合目・普賢菩薩、七合目・文殊師利菩薩、八合目・摩利支尊天、九合目・妙見大菩薩、頂上には釈迦牟尼仏・帝釈天王・千眼天王があり、中宮に毘沙門天王・清正公大神祇といった勧請仏が位置づけられており、法華経の守護神を巡拝して山頂に辿り着くという巡拝登山を行うものです。

これは、富士山が日蓮聖人とゆかりのある霊場であるということを前提に、江戸の法華信徒が富士山登詣を行い、途中に日蓮宗本山の玉沢妙法華寺に参詣してもらう意図のもとに作成されたものといえます。版元は、妙法華寺末寺の江戸本蔵寺で、江戸の法華信徒にこの参詣図が頒布されました。つまり、富士山信仰と身延山信仰を融合させ、江戸に住む法華信徒を富士山に誘引しようとしたものと考えられます。

江戸の随筆『甲子夜話』四巻に、「近頃は法華宗の崇信甚しくなりて、天保三年の夏、富士へ登る豆州三嶋の女三人、山禁を犯し題目を唱て山上す」とあり、全国的に法華信仰が盛んで、登詣する信徒も多かったようです。

こうして、富士山内にかつて祀られた仏像の数々は、礼拝対象であった富士山の存在を知らせてくれます。そして、富士山内に仏教信仰の霊場があり、法華信徒が巡拝したことから、登拝が重要であったことが理解できます。日本に仏教が伝来して以来、仏教徒は富士山に登拝、遙拝してきました。富士山に伝わる遺跡や仏像類を拝すると、富士山が仏教信仰の聖地であることを、今も私たちに語りかけてくれます。

お問い合わせ

お問い合わせやご質問等についてはこちらよりお願いいたします。
また、毎月の鬼子母神講(毎月8日 午後7時)や七面さま講(毎月18時 午後2時~)へのご参加も
心よりお待ちしております。

日蓮宗 妙栄山 法典寺
〒418-0023 静岡県富士宮市山本371-1
Tel.0544-66-8800
Fax.0544-66-8550


pagetop