可愛い赤ちゃん

2023/10/13

赤ちゃん(赤ん坊・赤子)・赤心・みどりご
生まれて間もない子供のことを、「赤ちゃん」と言いますね。体の色が赤みがかっていることから「あかご(赤子)」、頭に毛が無いことから「赤い坊主(赤ん坊)」と呼ばれ、親しみを込めて「赤ちゃん」とも言われるようになりました。生まれたてのものは皆赤いとは限りませんが、このことがー没化して、生まれて間もない子供は赤ちやんと呼ばれるようになったようです。また、「みどりご(嬰児)」と言うのは、植物の緑の新芽に喩えているのですね。また、赤ちゃんはよく「まだ何も汚れていないもの」に喩えられます。
「みどりごの次第しだいに知恵づきて、仏に遠くなるぞ悲しき」と、歌にあるとおり、我欲という汚れに染まりながら成長するのが人間かもしれません。仏教では、生まれたままの清らかな心を赤心(せきしん呉音しやくしん)と言ってきました。赤ちゃんの心のように、偽りの無い、い・真、いのことです。欲に覆われないありのままの心は、仏性そのものであり、赤心片片と言えば、真心に満ち満ちていることを指します。
ところで、赤ちゃんの顔を見る者は誰でもニッコリしてしまいます。自分も童心に帰って優しい言葉で話しかける人がほとんどでしょう。まさに仏と仏の出会いですね。赤ちゃんに対する時ばかりでなく、皆に愛語で語りかけることができれば、この世が生き仏さまばかりの極楽になること必定と言えましょう。修証義に「愛語というは、衆生を見るに、先ず慈愛の心を発し、顧愛の言語を施すなり、慈念衆生猶如赤子の懐いを貯えて言語するは愛語なり」とのお示しがあります。意訳すれば、「愛語とは、皆さんに会ったら、先ず仏さまのような心をおこし、愛の電った言葉で話すことです、赤ちゃんが皆を見るような、皆が赤ちゃんに語りかけるような、そんな思いで話すことが、本当の愛語です」となりましょうか。
徳のある人は褒め、徳のない人は憐れみ、みんなに愛の言葉を語りかけてみましょう。愛語を話す人に、敵はありません。言葉というものをまだ知らない赤ちゃんにならい、「真心」を優先しながら、人と話していきたいものです。

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