あきらかにする

2023/10/20


私はこの前、不注意で転び、右足を骨折してしまいました。ギプスがとれるまでーヶ月半ほどかかるそうですが、これもしかたのないこととあきらめております・・・。
「あきらめる」という語は、このように悪いこと、消極的なことに多く使われておりますが、あにはからんや、本来は積極的な前向きの意味なのです。物の道理をしっかりとらえ、原因、結果をあきらかにすること、これが仏教本来のあきらめるです。
物の道理が分かり、なぜそうなっているのかがはっきりすれば、迷うことなく執着することもなくなりますから、中身はともかく、外から見た惑じでは自然、今日的な意味での「あきらめ」に近い状態となるわけです。しかし、決して断念するのでもなければ放棄するのでもありません。達観するという意の「あきらめ」ならば、まだ本来の意味に近いでしょうか。あきらめるを漢字にすると「諦」とか「明」になりますが、これは、つまびらかにする、あきらかにするという意味の字です。
修証義の冒頭に、「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」とあります。これを、「生まれてきたのはしかたがない、死んでゆくのもしかたがない。これが因縁というものだ。」と解釈している人に出合いました。これでは全く逆ですね。生とは何か、死とは何かを積極的に究明し、これと一体になって生きぬき、死にきること、これが仏教徒の大事な課題です。世俗的なとらえ方でのあきらめではなく、本来の「あきらめ」を成就し、明るい毎日を過ごしたいものです。

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