手を染める

2023/10/27

足を洗う

違法な悪い行ないをやめて、善い人となり堅気になる・・・・そんな時足を洗うといいます。
  昔インドの托鉢僧は素足で托鉢して歩き、お寺にもどると足を洗ってから修行をし、また、法談をしました。七世間を歩きまわることと、お寺で修行することとは、二つの対照的な行動です。世間を迷いの世界とすれば、お寺の中は救いの世界であり、足を洗って修行し法談をするということは、不安の世界に交わることから安心の世界に住みかえることになりましょう。
  一般的な意味での「足を洗う」という言葉も、最初はこの不安の世界から脱却するということが、第一義的な意味ではなかったかと思います。泥棒をやめ、暴力団をやめ、ぬれ手にあわの商売をやめる、これらのものから離れることは即ち不安やうしろめたさ、重苦しさからも離れることであり、たとえお金はもうからなくても、前途には安心があります。
  足を洗うということは心を洗うこと、よく懺悔してすべての罪過を洗い落せば、この迷いだらけの世間を出、さらに苦しみの多い輪廻世界を出て、浄土に生ずることも可能でしょう。警察の目を意識し、いつお縄になるかと不安に思いながら暮らすより、堅気の仕事をして良心的に生きることこそ大切です。
  足を洗って、せいせいした気持で毎日を過ごせたら、これに勝る幸せはありません。また、たまには文字通り足を洗ってお寺を訪ね、修行したり仏法の話に耳を傾けたりしてほしいものです。

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