因果応報

2023/12/15

私たちは何か重大な事が起こった時など、「これも何かの因縁だ」と考えることがあります。また、「因縁を結ぶ」とか「因縁をつける」などと吏ったりもします。このように何気無く使っている因縁という言葉には、実は深い教えがふくまれているのです。
仏教的世界観では、この世界は因縁和合によって出来ていると見ます。それは神様の意志で左右されるものでもなければ、人間の好き勝手で動くものでもありません。因縁の「因」は直接原因を指し、「縁」は間接原因を指しています。そしてその「因」と「縁」がもとになって結果を生じます。春に種を蒔くことは因縁の因です。その種を育て、手入れすることは因縁の縁です。そし て秋の実りという結果を生じるのです。また、その実りを翌春もう一度播けば、それが即ち次の原因となります。このように因・縁・果が繰り返されているこの世の大法則を「因果律」といいます。
私たちは前世でやったこと宿業の因縁によって、いまこのように人間として生まれ、生きています。来世も人間として、いやそれ以上のものとして生まれたいならば、こうして生きているうちに善業を積みあげておかなければなりません。種も播かず手入れもせずに、実りだけ期待していては笑われるだけでしょう。
前世だ、来世だといわなくとも、この世にこうして生きているこの短い人生の間においてさえ、因・縁果は厳然と存在しています。勉強しないで成績の向上を願ったり、働かないでお金持ちになる方法を考えてばかりいるようなことはないでしょうか。私たちは、厳しいこの因果律から逃げることはできません。
達磨大師は、「結果自然成」という言葉を残されております。善い原因からは善い結果、悪い原因からは悪い結果が出ます。いま、私たちのやっていることが将来は必ずや、善い果報につながるように、常日頃から努力を続けたいものです。

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