魂入れ

2024/04/19

「芸術やスポーツの世界で、一つの壁を乗りこえて素晴らしい成果を挙げたときなどに、「新境地に開眼」などと使われますが、その他にも魂を吹き込む 意味から、品物の使い初め、遊女の水揚げまでにも「開眼」という言葉が使 われてきました。
 ここでは、そういった使われ方の元となった本来の「開眼」のお話をしてみましょう。新しい仏像を作ったり仏画を書いたりしたあと、最後に眼を入れ、心を込めることを開眼といいます。また、一心に修行して真実の道理を悟り、心の眼を開くことも開眼です。これから転じて、一般的に物事の本質を悟ることや、技術的なコツをつかむことも開眼というようになりました。そこで「新境地に開眼」などという表現もされるようになったわけです。ところで仏さまを真の仏さまとする儀式を開眼供養といいます。日本で最初に開眼供養が行なわれたのは、天平勝宝四(七五二)年四月九日、東大寺大 仏建立開眼の時だったということです。その後、この開眼供養の法が広まり、「仏造って魂入れず」ではだめで、 開眼供養しなければ仏にならない、とまで言われるようになりました。確かに、心魂がなければ只の人形と変わりません。外側は仏さまでも、中味が仏に成っていませんから、本当の有難みは出てきませんね。儀式としての開眼供養をすることもさることながら、さらによくお参りをして、本当に中味のある仏さまにしたいものです。仏さまは有難いから拝むのではなく、拝むから有難い仏さまとなるのです。また、仏さまをはじめ、何でも大切にすれば魂が入り、自分を守ってくれる強い味方となるでしょう。仏さまや人間に限らず、すべての命を大切にしてゆきたいものですね

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