本物とは

2024/05/10

「この戸は古くなってがたびししてきた」とか、「人間関係がガタビシしては困る」などと言いますが、 この「がたびし」を漢字にすると「我他彼此」 (われ・ほか・かれ・これ)と書くことをご存知でしょうい。まず「我他」ですが、「我」とは我れ、つまり自分のこと、「他」とは自分を除いたほかの物事のことであると私たちは承知しております。つまり、「我」とか「他」という言葉には、自分と自分以外のものを分ける、つまり対立的な見解が内在していることにも気づかなければなりませし。次に「彼此」ですが、「彼」とは彼最、つまり川向こうのさとりの世界を指し、「此」は此岸、つまり川のこちら側にある私たちの迷いの世界を指します。よく考えてみると、これも対立的なものの見方ですね。仏教を静くにあたり、私たちに理解されやすくするため、時にはこのような 対立語句をもって云道する場合もありますが、本来、「我」と「他」の別もなければ「悠」と「此」の別もないのです。個々のものを個物としてのみ把握して、根元的な万物の同一性を見失っていては、本物はつかめません。仏教には天地と我と同根、創と他が同一体となるところに、始めておさとりが開けるとする教えがありますし、煩悩即菩提といいまして 迷い苦しんでいる自分がそのまま仏の御命を生きているのだという考え方もあります。要するに、「我他」だの「彼此」だのと分けることをしないところに本物があるということです。そして我他彼此しないということは、自分と大自然とが一体となることだといえましょう。
太陽は差別なくものを照らし、慈雨は差別なくものに注ぎます。私たちも、ここらで大きく目を見開いて大空のような心となり、心の作る「我他彼此」を和合させて、皆共に仏道を歩んでゆきましょう。

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