がまん我慢

2024/05/17

「言葉は生きものですから、長く使われている間に、まるっきり逆の意味に転じてしまう場合があります。「貴様」や「鬱」が良い意味から悪い意味に転じたのに対して、「我慢」や「頑張る」といった語は、本来のマイナス面がプラスに変化して使われるようになった言葉の例です。まず「我慢」ですが、これは本来は、あってはならない心の状態を指す語なのです。といいますのは、人間にとって厭うべき「貪瞋痴慢(とんじんちまん)」という四大煩悩の一つが「我慢」だからです。「慢」は梵語の「マーナ」の音写語で、思いあがりのことです。
そして、さらにこの「慢」を分類すると「慢・過慢・慢過慢・我慢・増上慢・卑慢・邪慢」の七種となります。この中の四番目に「我慢」がありますね。これは自己の中心に「我」があると考え、その我を頼んで他を蔑む心のことです。
 そして、我が強ければ自説を押し通すことになりますから、そのように頑強 に我を張って屈しないことを指して「頑張る」という言葉ができたようです。したがって、本当は我慢強くして頑張る人とは、他の人の言葉に耳をかさぬ救いようのない人のことでありました。それがプラスの意味に転じたのは、我慢を戒めるときに、「これは我慢というものだ。いけない、いけない、こらえよう。我慢だ、我慢だ」というように使われているうちにいつの間にか、我慢が辛抱や忍耐と同義のようになったのでしょう。このように今日では意味が逆転しましたので、今日いうところの我慢とは「我慢をおさえる」ことであり、頑張るとは「我を張らずに本物を見究めるよう努力すること」でなければなりません。
私たちの心の中には、常に思いあがりの「慢」があります。貪瞋痴慢の根本煩悩にふりまわされぬようにして、お互い気持よく暮せる社会を築きたいものですね。慢心からくる自慢話や、わからず屋さんの我の張った話などは、あまり感じのよいものではありません。

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