2024/05/31
「どうか堪忍してください」「いいや勘弁ならねえ」・・・江戸つ子の喧嘩言葉を文字にしてみましたが、さて、皆さまは可か気づかれ ませんでしたか。そうなんです。「堪忍」と「勘弁」が全く同義のように使わ 水一つの会話として応酬されていますね。しかし、実はこの二つの言葉は、字が違うように意味も違うのです。「堪忍」も「勘弁」も、現在では「他人の過ちを許すこと」くらいにしか用いられていませんが、これは時間を経て結果的にそうなっただけで、元々は全然違う言葉なんです。堪忍の堪は、「堪える」という字で、忍は「忍ぶ」ですから、苦難を「堪え忍ぶ」のが堪忍です。この語は古来、インド語の娑婆の漢訳語として使われ、娑婆世界を堪忍世界と言いならわしてまいりました。私たちの住むこの世もは、本当に堪え忍ばなければならない苦難に満ちている世界だと言えましょう。でも、どんなつらい思いをしても堪忍袋の緒を切らぬようにすれば、めでたく修行が成就して、次には善処に生ずることができるというわけです。ならぬ堪忍するが堪忍ですね。また、その修行ができたかどうかを見るに、昔の中国禅宗では、師家(お師匠さん)が修行者をテストする風(ふう)がありました。そのときの「よし合格!」に相当する言葉が「勘弁」でした。勘は「つきあわせて調べること」、弁は「わきまえて区別すること」ですから、勘弁とは、おさとりの印可を与えることなのです。喧嘩で相手に堪忍を乞うのは「堪え忍んでください」と頼むことであり、相手を勘弁するのは、「これだけ謝っているのだから情状酌量して赦してやろう」ということになりましょうか。人間は修羅ではありません。「恨みは恨みによって報いられるものではなく、ただ恨みを忘れることによって消滅させることができる」と経典に示されております。甚え忍ぶとともに、相手の仏性に免じて勘弁してあげましょう。
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