義理人情

2024/07/26


現代は、義理も人情もない時代だという人がいます。義理がすたれても、人情がうすくなっても、世の中は渡りづらくなりますし、一方、義理と人青の板挟みにあっても、これまた苦しいものです。
 まずその「義理」ですが、これは本来は物事の道理、正しい筋道をいう言葉でした。仏教の経典は大方がこの「義理」を説いたものに他なりません。言いかえれば、「義理」とは、人の踏み行なうべき道と言えますが、転じて、さまざまな人間関係の中で、人が他人に対して行なわなければならないことを指すようになり、イヤでもしなければならないことを「お義理」と言うようにさえなりました。バレンタインデーの義理チョコは、そのよい用例でしょう。
 一方、「人情」とは本来、人間的な心の迷いを言い、世間的なものに囚われる人間的な思慮分別を言ったのでしたが、「人間くさい!人間らしい」と意味が変わり、いつか「人情」という語は良い意味に用いられるようになりました。人情味のある人は良い人ですし、人情に厚い土地柄は暮らしやすい所です。言葉は生きものですから、長い歴史の間に違う意味になったり、正反対 の意味になったりすることが多いんですね。
 どちらにしましても、私たちは「義理」を見究め、「人情」のいかなるものかを知って、迷いの生活を送ることのないようにしなければなりません。
 夏目漱石は『草枕』の中で、「智(知)に働けば角が立つ、情に棹(さお)させば流される、意地を通せば窮屈だ。とかく人の世は住みにくい」と言っていますが、知情意も義理・人情も、ほどよくあるのが最もよいといえましょう。義理・人情を離れて、非人情の天地を求めた漱石も、「非人情がちと強過ぎたようだ」と考えなおしていますね。また、高杉晋作の句に「面白き こともなき世を面白く住みなすものは 心なりけり」というのがありますが、まずは自分の心を調整し、ほどよいものとするよう、管理してゆくことが大切ですね。

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