2024/10/04
奈良時代の昔から、将棋と並んで人気を保ち続けているゲームに囲碁がありますね。今朝の新聞紙上にも、囲碁と将棋が同じ紙面上に載っておりました。 それを眺めながら「フーン、囲碁の達人を棋聖と言うのか」と思いつつ、目を将棋欄の方へ移すと、一方の棋士の肩書きがやはり「棋聖」となっているではありませんか。「えつ!同じ?」とびつくりしましたので少し調べてみますと、囲碁と将棋は大昔からワンセットとして、同じ歩みを続けてきたということがわかりました。つまり、右足と左足の如きものだったのでしょうね。 現在の日本で私たちが楽しんでいる「碁」の源流は本因坊にあります。京都洛東にある日蓮宗寂光寺(今は顕本法華宗本山)には本因坊という塔頭寺院があり、この二世住職日海法印(字名は算砂)は囲碁と将棋の名手でした。織田信長に厚遇され、本能寺の変の前夜にも御前対局をした人で、その碁技抜群により秀吉・家康からも扶持を与えられ、江戸幕府が碁所将棋所の制を定めた時には、その双方を司って三百石の禄を受けたそうです。
そういつた経緯から、「本因坊」の名は碁所将棋所の最強の者の称となり、二代目以後に碁所と将棋所が分離したのちも、この名が伝えられてゆくことになります。そんなことを考えると、「棋聖」の語が今でも囲碁と将棋の双方で 使われているのも納得できますね。その後「本因坊」の名は、特に囲碁界の家元の名として相続され、二代目、三代目・・・と続き、明治時代の二十一代目本因坊秀哉が日本棋院を創立。以後、本因坊位は選手権制となりました。碁打ちの名人本因坊にこんな歌があります。
碁なりせばこうなりたてて凌がんも死ぬるばかりは手はなかりけれ私たちの人生には、碁打ちの名人といえども凌ぐことのできない「死」が前方に待っております。静かな末期を迎えられるよう、常日頃精進しておきたいものです。
※歌の注“こうとは、囲碁で自分の石の死を免れるための、ルールに沿った打ち方。これを「こうを立てる」という。この歌は、「碁であれば死にそうになつたときでも、それを免れる手だてがあるけれど、人生における死を逃れる方法はない」という意。
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