水掛け論

2024/11/01

季節外れですが、雪合戦は楽しい遊びの一つになっていますね。投げ合うものが雪であれば、たとえぶっつけられても死傷することはないでしょう。夏には水の掛け合いをして遊びます。いくら水を掛けても、相手をやっつけるまでに至りません。ところで、「水掛論」という言葉があります。相手を議論でやっつけたい時、お互いに言い張って果てしなく争うことですね。水掛論では相手からポイントをとることはできません。
 人間は言葉を持っていますから、言葉で相手を論破するのが社会ルールに叶っています。しかし、どちらも相手の主張を論破することができず、ちょうど水の掛け合いのように、同じ理屈を互いに繰り返すだけで解決しない場合もありましょう。
「水掛論」は、仏教とともに伝えられたインド論理学(因明)で言う「相違決定」のことです。相互に矛盾した別々の主張命題を正当に決定して立てる場合、どちらも相手の主張を論破することができなくなります。
 これが水掛論です。この言葉が一般に広まって、今日では、やたら登場する言葉となりました。一説に狂言の「水挂聾(みずかけむこ)」からきているとされていますが、互いに自分の田に水を掛けようという争いは、水論(みずろん・すいろん)とか水争いであって、水掛論とは言いませんね。自分の立場や利得に固執して果てしなく争い、解決しないという点では同じかもしれませんが・・・・。
 とにかく、固執していては何事も決着いたしません。固執とは固い執着、つまり、しがみついて離れようとしないことです。仏教では執着しない、いにこそ、正しい判断力が具わるとします。執着する心を離して、大所高所から物事を見ていこうではありませんか。 水掛論なんてしたくないものです。

 

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