2025/01/01
二黒巳歳 令和7年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。
さて、「さらさら」という副詞がありますね。よく「サラサラ」とも記されます。この意味を求めて辞書を引きますと、<水などが浅い所を淀みなく流れるさま>とか<物事がつかえずにはかどるさま>、あるいは<物に粘り気や湿り気がないさま>とか説明されています。ところで、梵語で「流れ」を意味する「サンサーラ」という語があることをご存知でしょうか。このサンサーラは「輪廻」とか「流転」と訳され、生ある者が生死を繰り返すことを言います。仏教では迷いの世界に生死を繰り返している私たちのこの世界のことを指しますが、この「サンサーラ」と「サラサラ」は、どこか似ている語だとは思いませんか。最近、「血液サラサラ」という語をよく耳にしますが、血液の流れが止まれば、私たちの身体は死んでしまいます。水や血液ばかりでなく、宇宙のすべてのものはサンサーラしていますし、サラサラしていないと成りゆかないものばかりです。
おさとりを歌った道歌に岩もある木の根もあるをサラサラとただサラサラと水の流るるというのがあります。何かに執着してトラブってはいけませんね。実は私たちが死んでも、このサラサラは止まりません。サンサーラの法則に従ってそれぞれの所に流れゆくのです。どんな流れにのるかは個人差がありましょう。チベット仏教の「死者の書」によれば、人の意識は、もう戻れなくなった肉体を離れて再生へ向かうのだそうです。流れながら転生して、まず意成身を得ます。この意成身は山でも建物でも、土砂や岩石でも、すべて妨害なしに通り抜けることができるほどの小さなもので、電流の如く流れて、四十九日後には光の国にたどりつきます。青黄赤白緑灰色などの光が意成身を迎えますが、その光の色が次生の父母へと導き、母胎に宿らせるのだそうです。
もし輪廻したくないのなら、つまり解脱したいのなら、母胎への入り口を閉ざさなければいけません。前記のどの光も避けて、金色に輝く仏国土へ趣き、仏身を得たいものですね。
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