2025/01/10
「三昧(さんまい)」という語は、たとえば「読書三昧にふける」などと使われ、あることに熱中するとか懸命になるといった意味ですね。
「三昧」は、インド語の「サマーデ」が漢字に音写されたのですが、意訳では「定」とされることからも分かるとおり、本来は心をーヶ所に定めて何物にも動かされず、全くそのものになりきることを指します。
身近な例でこれを説明してみましょう。気に入つたテレビ番組に見入っている時は、まわりの人が何をしていようと、何を言おうと目にも耳にも入りませんね、また一心不乱に勉強していれば、となりの工事現場の騒音も耳に入らないはずです。これは心が周囲のものから離れ、今やっていることそのものになりきっているからです。
逆にいえば、囲りの状況に心が左右されるうちは、心がーヶ所に向いていないといえます。気が散っている間は本物ではありません。その点、坐禅は本物になりきるための三昧中の王様です。
戦国時代に、甲斐の恵林寺に住した高僧快川和尚は、武田信玄公の深い帰依を受けていました。天正十年のこと、信長のために武田家が滅亡させられた時に、この恵林寺も焼き打ちにあいましたが、快川和尚は「心頭を滅却すれば、火も自ずから涼し」と詠み、火に囲まれた山門楼上で坐禅したまま逝かれたそうです。
猛暑の夏には、暑い暑いとこぼしながら右往左往するばかり…。厳寒の冬には寒さに震えて、ストーブの側から離れられない…。結局は何も手につかないまま、無為に毎日を過ごしてしまうのが我々凡人です。しかし、暑ければ暑いで結構、寒いのもまた結構。三昧境に入れば、まわり がどうであろうと関係なくなります。今日は斯く生きるのだと決めたら真剣にそれに打ちこむ。心頭を滅却し、それになりきって何事もやりぬいてゆく。心さえ定まれば、我が行く手をさえぎるものは何もないのです。
そのような境地に達して、一歩一歩進めることが大切です。
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