相応

2025/10/24

「相応」とは、心と世界が響き合うこと
私たちは、二つのものが親しく調和しているとき、「相応している」と言い、そうでないときは「不相応だ」と言います。 この「相応」とは、ものの現れ方──つまり「相」が互いに応じ合うことを意味します。
仏教では、心の中心的な働きを「心王」、外界に触れたときの反応を「心所」と呼びます。 この「心王」と「心所」が、まるで舞い合うように調和し、離れずに働くことが、本来の「相応」なのです。
 心所の働きが確かであれば、私たちは世界のすべての「相」をしっかりと受け取ることができます。 つまり、心とその働きが一致しているとき、私たちは真に「相応」していると言えるのです。
 この考え方が転じて、現代では単に「二つのものが合うかどうか」を「相応」「不相応」と表現するようになりました。 しかし、本来の意味はもっと深く、二つ以上のものの本質が響き合うことにあるのです。
 真言宗は「相応宗」とも呼ばれることがあります。 それは、身・口・意の三つの行い(三業)が仏と調和することを大切にしているからです。
仏さまの身体・言葉・心・・・この三つの働きは、私たち凡夫には到底理解しきれない神秘的な力です。 そのため、仏の三業は「三密」と呼ばれます。

私たちは、身に印契(手の形)を結び、口で真言を唱え、心に本尊を観ずることで、
仏の三密と一体となることができます。これを「衆生の三密」と言うようです。
仏の三密は宇宙に遍く満ちており、私たちの三業が相応することで、仏と融和し、人智を超えた力が働くのです。 この実践を「三密の行」と呼び、澄んだ月のような心を「三密の月」とも讃えます。
 正しい「月輪観」──つまり三密のあり方を心に持って生きるならば、 迷いに惑わされることなく、すべての「相」に応じながら、豊かで楽しい毎日を過ごすことができるでしょう。「相応」とは、単なる一致ではなく、深い響き合いと調和です。 それは、心と世界が互いに応じ合い、私たちの存在が宇宙と一体となる瞬間でもあります。

 

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