相続

2025/10/31

「相続」と聞くと、多くの人はまず遺産相続を思い浮かべるでしょう。けれども、この言葉はもともと仏教の教えに根ざしたものです。
 仏教では、この世のすべてを「露の如し」「夢幻泡影の如し」と説きます。 つまり、人生は儚く、空しく、ほんの一瞬のもの。だからこそ、「一刻一瞬を大切にせよ」「明日の命はあてにならぬ」と教えられるのです。
しかし、その一瞬の命も孤立して存在しているわけではありません。すべての命は互いに関わり合い、繋がり、変化し続けている・・・これこそが「相続」の本質です。
 「生」も「死」も、「因」も「果」も、それぞれは一時の姿にすぎません。 けれども、それらは「相続識」によって、永遠に繋がっていくのです。私たちの身は、善悪の因果によって、過去・現在・未来にわたり、絶え間なく相続しています。 この考え方に触れると、「死んでも何も終わるわけではなく、ただ変化していくだけなんだ」と、少し安心するかもしれません。
 しかし・・・ここで仏教は、もう一つの視点を示します。
仏教には「相続窮まりなし」という言葉があります。これは、相続が続くことが必ずしも良いことではない、という警告でもあります。なぜなら、「相続する」ということは、輪廻転生を繰り返し、迷いの世界にとどまり続けることだからです。 仏教の最終理想は、輪廻を脱し、浄土に生まれ、自由な世界で仏となること。 本当の意味での「相続」とは、相続を超えて、主中の主となることなのです。
 もし今、遺産相続に心をすり減らしている方がいたら・・・この機会に、そんな相続を一度手放して、仏教の説く自由世界に心を向けてみませんか。相続に執着すれば、魔が差して地獄に落ちることもあるかもしれません。 たとえうまくいっても、気苦労が絶えないのが現実です。
 それよりも、自己本来の姿に立ち返り、仏性を啓発し、即身是仏の道を歩むこと。 それこそが、真の「相続」──命と智慧の継承なのです。仏教の香を吸いながら、自分の人生を静かに顧みてみましょう。 そこには、執着を超えた穏やかな光が、きっと見えてくるはずです。

 

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