退屈なとき

2025/11/21

「今日は何の予定もない退屈な日だ。退屈凌ぎに散歩でもするか」・・などと使われるのが、現代における「退屈」という語の用い方ですね。しかし、「退屈」の語源を考え併せてみると、どうしてそんな風に使われる ようになったのか首を傾げざるをえません。と言いますのは、「退屈」とは本来、<仏道修行の難しさや苦しさに辟易して、悟りを求める心がうすらぎ、 精進しなくなること>という意味の語だからです。
 <精進する、心が失われる>ことから転じて、<どうすることもできなくて困りはてる こと>になり、さらに、困りはてることから転じて<手もちぶさたで困ること>になり、遂には、<何もすることが無くて暇を持て余すこと>へとコロコロと転じて、ついには本来とは似ても似つかぬ意味内容になってしまったようです。私たちの生活から緊張感が失われてしまったせいでしょうか。
 往生要集には「行人、恒時に勇進することあたはず、或いは心蒙昧となり、或いは心退屈せん」の句が見られます。私たちの心は蒙昧となりやすく、退屈しやすいものですから、常に心して悟りを求め、精進しなければなら伝い、ということですね。
 さて、いわゆる退屈な時におすすめしたいことがあります。それは、どうぞ有益な本を読んでいただきたいということです。しかも、できれば仏教に関する本をもっと読んでいただきたいと思います。昔は仏教を求めるあまり退屈しましたが、いまは仏教を求めなさすぎて退屈するようです。仏教を求める心が強ければ、文字通り退屈が凌げて、精進努力に身が入るというものでしょう。
 「あ~あ、退屈だ」・・それが現代人の迷いの元です。暇を持て余すとロクなことを考えません。旗本退屈男は、退屈しのぎに人助けをしましたが、私たちは何をすべきでありましょうか。やっぱり人助けではないでしょうか。真実を求め、自らを省みる人、そして迷える者を救うことに精進する人には退屈なんかないと思います。

 

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